M&A半ばで譲渡企業の社長が急逝
譲受企業が語るPMIの実情と社長の役割
大手企業の元請けになるため、自社にない技術を得ようと、これまで7社をM&Aし、電気設備をメインとしたエンジニアリング企業として業容を拡大し続けている日誠電工。同社がこれまでに行ってきたM&Aのなかで、印象的だったのが、M&A成立前にオーナー社長が急逝してしまった大野電機工業だ。そのとき何が起きたのか、日誠電工の日原誠社長にうかがった。
会社をより発展させるためのM&A
静岡県富士宮市にある日誠電工は、1970年、日原誠社長の父が立ち上げた電気工事会社だ。現在、大型商業施設や高層ビル、マンションなど、大規模な建設現場の電気工事を、大手企業から請け負っている。父親が亡くなったことで日原氏が会社を継ぐことになったのは、2007年、26歳のときだった。
大手企業に勤務していた日原氏は、会社を継がずに畳もうと思っていた。だが、当時の従業員から、「今会社がなくなるのは困る。名前だけでもいいから社長になってほしい」と頼まれたという。「結局その言葉で社長になったのが始まりでした」
実際に社長として会社を継いでみると、会社は単に職人が集まっただけの集団で、組織とはほど遠いものだった。
日原氏は、社内制度を整え、定期的に人材を採用。少しずつ会社らしい組織をつくりあげ、当時は1億円程度だった売上を、まずは10億円まで拡大しようと目標を定め、達成していった。
「21年、中期経営計画を策定する際、『何のために会社があるのか』について、従業員と真剣に話し合い、改めて当社で働くことの意味を確認しました。社員とその家族が幸せになるために会社があるということを認識しました」
そして、同社が持つ技術力を直接取引先に届けることができる〝元請け〟になることを決意。そのために、施工管理までできる高い技術力を持つ会社を目指すことにしたのだ。
日原氏は、段階的に高い技術が習得できるような教育マニュアルを作成。さらに同社にはない技術を持つ会社と資本提携し、人材交流をすることで技術力を高めていけるようM&Aを推進していった。
M&Aで起きた想定外の出来事
こうして、21年から積極的にM&Aを行うようになった同社は、現在までに7社をM&A。グループ全体の年商は約20億円と順調に成長を重ねてきた。
M&Aにはさまざまな苦労がつきものだが、日原氏が特に印象に残っているのが、2社目にM&Aを行った大野電機工業(静岡県三島市)だという。
大野電機工業は、主に官公庁からの仕事を請け負い、信号機の設置という特殊な工事を専門に行う、高い技術を持つ電気工事会社だ。
「同社は、当社と同じ静岡県東部地域にあり、地元では確かな技術を持つ会社として有名な会社です。その有力企業がM&A先を探していると聞き、手を挙げました」
トップ面談では、日原氏のビジョンを語り、その考えが大野電機工業の社長だった大野文男氏の心に届いた。意気投合し、「ぜひ一緒にやっていきたい」と基本合意を取り付けたものの、それから2週間ほど経ったとき、交渉していた大野氏が急逝してしまったのだ。
会社は暫定措置として、大野氏の長男が名前だけの社長となった。
「基本合意はしていたものの、結局何も決まらないうちに前オーナーが亡くなってしまいましたから、最初はお断りしようと思っていました。

でも、生前の大野社長とのやりとりや、従業員への想いを思い出すにつれ、自分に会社を託そうとして基本合意を結んでくれた前社長の想いに報いたいという気持ちもあったのです」
生前、大野氏の従業員に対する深い想いを聞いていた日原氏は、それを受け継ぐべく、大野電機工業をM&Aすることを決意した。
大野社長が亡くなって4カ月後の23年8月、日誠電工は大野電機工業をM&A。会社は日原氏が陣頭指揮をとることになった。
引き継ぎができないという苦労
「覚悟していたことではありましたが、やはり会社の核となっていた社長がいない会社のPMIは、想像以上に苦労しました」
大野電機工業の場合、役職がついている人はいたものの、組織として体系だっているわけではなく、全員が社長からの直接指示で動く、フラットな会社だった。
「会社に対する考えはすべて社長の頭の中にあり、それを引き継ぐことなく亡くなってしまったのです。そもそも社長が何をしていて、社員とどのようにコミュニケーションをとっていたのかすらわからない状態でした」
日原氏は、「社長は普段どんな仕事をしていましたか」「なぜ今のポジションに任命されたのか聞いていますか」と、従業員一人ひとりに話を聞く作業から始めたという。
だが、経営者の立場から見た従業員の姿と、従業員が語る自分たちの姿とでは、見ているポイントが違う。
「経営者は常日頃、従業員を評価する立場にいますから、経験による『目利き』の力がついています。社内のポジションについても、それぞれの人をそのポジションにつけるからには、相応の理由があるはずです。しかし、それは従業員本人から聞いてもわからないことのほうが多いのです」
どうして今のポジションにいるのか、配属した理由は社長しか知らないことだったが、もう本人から聞くことはできない。想像しながら引き継いでいくのは、日原氏が思っていたよりも大変なことだったという。
また、M&Aを成功させるポイントの一つに、「資金調達」がある。
「どんなによい縁だと思っても、資金がなければM&Aは実現できません」
大野氏が亡くなったことで、日誠電工の資金調達にも影響が及ぼされた。最終合意の3日前に、予定していた金融機関からの融資が下りないことがわかったのだ。
「M&Aを締結する前にオーナー社長が亡くなってしまった会社を引き継いでいくことは、業績が右肩上がりで勢いがある会社の経営者であっても難しいだろう」と、金融機関から思われたのかもしれない。
「後から考えたら、大野社長が亡くなった後すぐに金融機関に行き、大野社長が亡くなる前とは条件を変えて会社が存続できる可能性を高めるスキームをつくってやっていくということを、わかりやすい言葉できちんと説明すればよかったと反省しています。普段から金融機関と関係を構築し、信頼されるようになっておくことも大切なのだと思います」
反発する社員にも真摯に対応
中小零細企業のM&Aの場合、従業員にその事実が開示されるのは、M&A後のことがほとんどだ。
大野電機工業の場合、M&Aの道半ばで社長が亡くなってしまい、混乱の中、従業員にM&Aをしようと動いていた事実が知られてしまった。
「すると、M&Aに反対するという意向を示す従業員も出てきました」
仲介会社の担当者と大野氏の長男・次男で急遽説明会を開き、生前の大野氏がどのように考えていたかを全社員に伝え、一旦は収まったと日原氏は後から聞かされた。
「社長が急に亡くなってしまっただけでもショックなのに、知らない会社と『M&Aをすることになっていた』と聞かされれば、自分の居場所に異物が混入したかのように感じる人も多かったのではないでしょうか」
日原氏は、雇用条件を変えないことを約束し、よりよい組織をつくっていこうと話をした。だがどんなに言葉を尽くしてもなお、最後まで反発する人はいた。
「従業員の離反は、ある程度は仕方のない場合もあります。でも、もし大野社長が健在であれば、起きなかった問題もあったのではないかと思っています」
現在、日原氏が陣頭指揮をとり、大野電機工業の業績は好調を維持している。
日誠電工は、大野電機工業を譲受したのち、5社の企業を買収。売上高100億円を目指して業容拡大に向け、M&Aにも積極的に取り組んでいる。
「大野電機工業は優良企業ですが、会社の舵取りを行う経営者がいなくなった途端に、さまざまな問題が噴出しました。M&Aを成功させるためには、オーナー社長が健在で、従業員が一つにまとまっていることも大切な要素だと実感しています」

「インクグロウのM&A」は「=M&Aの“成約”ではなく、“成功”を創出します=」ということを掲げて活動をしております。PMIを最も意識し、譲渡企業・譲受企業の双方がWin-Winとなる方法をご提案することで、M&Aの“成約”ではなく、M&Aによる企業成長すなわち“成功”を創出することが「理想のM&A」と考えており、日々追求しつづけております。